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パラグアイ人の文化・習慣・価値観をご紹介!

パラグアイの日曜日は家族の日

パラグアイの一週間で町も人も眠り、動かなくなる日がある。日曜日だ。交通情報でも書いてあるが、日曜日だけは普段、渋滞ばかりしている大通りも静かで車もチラホラとしかない。多くのパラグアイ人、日系人もこの日ばかりは家にいて家族と過ごす。筆者もパラグアイ人と過ごしてた日々があるが、日曜日はいつも家事を済ませた後はテレレを飲むかビールを飲むかのどちらかであった。

​買い物に出かけたり、映画を見たりと家族によって様々だが、だいたい皆、同じようなものだろう。10年前であれば日曜日に空いている店はごく稀だといわれていたようだが、最近はスーパーやコンビニも空いている。​

やはり、資本主義経済だからだろうか、しかし、日曜日に嫌々働いている人たちにももちろんメリットはある。休日出勤は給料が2倍になるのだ、それはパラグアイの法律で決まっているのでしっかりと守られていることだろう。​それに、前述のとおり、お客もこないし、商品を積んだトラックもお休みだ。そう考えると平日よりも仕事が少なくて楽なのかもしれない。

パラグアイの家族愛

パラグアイ人の家族愛はとても強い、特に筆者のように日本生まれ、日本育ちの人間から見れば驚くほどだ。遠隔に住んでいれば日曜日には必ずと言っていいほどスカイプで電話を掛けるし、街中でも携帯電話を片手に大声で話すおばさんを見かける。​

それから、これが意外に感じるのは筆者だけだろうか、パラグアイ人家族の中では年功序列の力関係が事の他に強い。上に下が逆らうことは許されないのだ。また上の命令も絶対なのだ。反抗期真っ盛りとも見える20代やおそらくもう一人立ちしているであろう30手前と思しき人たちが「だって、パパ!、、わかったよ。」と言っている姿はかわいく見える。

​しかし、この家族体系が生み出す大きな弊害がある。下に行けば行くほど、上には逆らえないので何も考えなくなるのだ。そして家庭で決定権もないのであろう。非常に優柔不断な子が出来上がるのだ。筆者の知り合いの末っ子は何が食べたい。何が聴きたい、どんなタイプの男性がすき?という質問に対してすべて「なんでもいい」と答えたから驚きだ。

​それを見ていた姉はあの子はいつも何も考えていない、将来の事もなにも。といっていたがそれはあなた達のせいですよ。と教えてあげたかった。しかし、世代が変われば子供達も変わっていく、最近の高校生は両親や兄弟へあまり畏敬の念をいだいてはいないようだ。そういった家庭の方がのびのび、そして楽しく過ごせると思うので筆者はよいと思う。

​もちろん、最近の若い者は、、。というおじいちゃん、おばあちゃんは世界共通で存在するので忘れずに記載しておく。

パラグアイの食生活

パラグアイ人の食生活は偏っているの一言に尽きるだろう。筆者が日本から来て、一番初めに直面した問題が食べ物だ。特にパラグアイ料理は常に10点満点中6~7点をうろうろしている。​

レストランも本格的なものを除いてはあまりうまくない。アサードだけはどこでも安定的にうまいがそれ以外は茹で過ぎたパスタや単調な味、そしてうまいとは感じるがどれだけの量のバターを使っているのだろう。と思えるほど味の濃いじゃがいもペーストなどだ。

​もちろん、家庭により様々だろうが、決してうまくはない。味覚は一応世界共通なのでパラグアイ人に聞いてみるが十分おいしいよという答えが返ってくるのみだ。パラグアイ人は、朝はしっかりと食べる。昼もしっかりと食べる。夜はあまり食べない。という人が多い。では、何を食べるのかという事であるがだいたい一週間の料理がローテーションで決まっているのだ。

​日本人の筆者には到底理解できない感覚だが、なるほど、これがパラグアイの食事が発展しない理由か、と妙に納得してしまった。おそらくイギリスの料理があまりおいしくないといわれる理由もこれに近いものだろうと推測できる。​

では平日一週間の昼メニューを発表しよう。

​月曜日….肉と野菜のスープ(プッチェーロ)

火曜日….ギソ(牛肉とトマトのパスタ)

水曜日….ミラネッサ(薄くした牛肉に衣をつけて揚げたもの)

木曜日….タジャリン(ひき肉とトマトのパスタ)

金曜日….マリネーラ(薄くした牛肉にてんぷらのような衣をつけて揚げたもの)

土曜日と日曜日は仕事がない場合もあるし、店も閉まっている時があるので家庭それぞれといった所だろう。

​以上のメニューに加え、アサード・ア・ラ・オジャ(鍋で骨付き肉を煮詰めて作る固い角煮)、ボリボリ(プッチェーロにトウモロコシの団子を加えたもの)、ラザニア、ポージョ・アル・オルノ(鳥肉を香草や野菜と一緒にオーブンであげたもの)などのメニューが繰り返し繰り返し出てくる。

もう一度、書いておこう。繰り返し繰り返し出てくる。次の月曜になればスープをたべ次の金曜日になれば揚げ物が出てくるといった具合だ。まず、料理の種類が少ないことに加えあまり、新しいものを生み出す能力に乏しいパラグアイ人ならではの食生活だ。

パラグアイ人、仕事に対する価値観

パラグアイ人は仕事の為に生きるという考え方が全く理解できないという人たちだ。いや、日本人の価値観が異常と捉えるべきだろうか。なんとも情けない話だ。​

話を戻そう。パラグアイ人は生きる為に仕事をしているのであまり、仕事にこだわらない。そうはいってもより給料の良い会社に勤めて偉くなりたと思うのは人の常であるから、良い条件があれば今の会社をすぐに切り捨てて転職するという事もよくある。会社への愛情などといったものは微塵もないし、自分の仕事以外はなにもしない、そして言われたことだけを粛々とこなして定時に帰るのだ。

​朝は十分、十五分の遅れが当たり前だが、定時はしっかりと守るのだ。しかし、それが毎日の仕事でない場合は少し様子が違うようだ。これは働き方の価値観というよりは時間概念の違いかもしれない。​

筆者は時間をきちんと守る性格なのでこの感覚は一生理解できないとおもうのだが、ある日、パラグアイ人の学生を一日いくらというアルバイトで雇ったことがある。すると、彼は決まって十五分、三十分、一時間、のどれかの時間、遅れてやってくるのだ。

自分の社員であれば怒鳴り散らすが何分、学生としての本業に加えてやってくれているし、給料もそんなに多くは払ってやれていないのであきらめていた。しかし、仕事が終わらなかった場合は平気で残業をしていくのだ。そして、筆者が次に予定はないのか?と聞くとだいたいあると答える。嘘をついているのかと思いきや、事実、友達や家族との約束があるのだ。

​予定があるから急いで終わらす、予定があるから残業したくない、という感覚ならば筆者も理解できるのだが、焦っている様子もない。最終的に彼は一時間後、その日の仕事を終えて悠々と帰っていった。遊びに行くといってうきうきしながら。

​つまり、私との予定に一時間遅れ、私の頼んだ仕事によって更に一時間遅れ、都合2時間以上も後の予定が押した事になる。初めの約束から2時間遅れてしまった場合、筆者なら日を改めたほうがよいだろう、友人に迷惑をかけてしまったと感じるが、ここでは私が少数派なのだろうか。これは不思議と言わざるを得ない。時間の概念が欠落しているのならまだしも、8時といえば8時に来る。

​パラグアイは穏やかに時間が流れるから。と言われればそうかとも思えるが、時間は有限であり、全世界の人間にとっても同じだ。この感覚だけはおそらく一生理解する事は出来ないだろう。

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