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パラグアイで過去に起こった土地なし農民の問題について確認してみよう。
当ページをご覧になっている方はもちろん、パラグアイに興味を持っている方だろう。そうなればパラグアイで日系人がどのような存在であり、どのように日系社会が発展してきたのかもお分かりかもしれない。
しかし、社会の発展には必ず陰と陽が付きまとうものだ。今回は発展に伴う陰についてみていこう。
まず背景としてパラグアイは貧富の差の大きな国だ。例えば全国民を100としよう、その中で10%のみが裕福で5%が中流、85%が貧困としたら争いごとはほとんど起きないといっていいだろう。
その理由は周りにいる人達がほとんど自分と同じ貧困層だからだ。みんな車を持っていない。みんな家もボロボロ、服も気にしない。「じゃーしょうがいない」となるものだ。
しかし、その中でも頑張ってそこから抜け出した人達がいたとしよう。パラグアイで言えばこれは日系社会全体だ。そうなると自分達が頑張らなかった事を棚に上げ、妬みや嫉み(そねみ)を持つ人達も出てくるだろう。
断っておくが、パラグアイ人の中でこういった感情を持つ人は少ない。その多くは現状に満足し、高みを見ないからこそ幸せである。と感じる人の方が多いと思う。
根拠のない話は置いておいて、事実の話をしよう。そうして裕福になった社会が出来てきた結果、使っていない(未開拓)の土地に勝手に小屋を建設して「この土地は自分達のものだ」と主張しだした150名ほどの一派が発生した。これが2011年の頃の話。
そして、これがイグアス移住地における土地なし農民だ。
パラグアイ日系社会において、この土地なし農民の被害を一番受けたのが「イグアス移住地」であった。ちなみにパラグアイの移住地には大小の差はあっても必ず移住地ごとに日本人会という組織が完備されている。
日本人会はその昔は移住の手続きであったり、日本人同士の会合であったりといった意味合いが強かったが今では、それぞれの日本人会毎に特色を持っていて、事業を行う移住地もあれば、昔ながらの会合のみを行っていたり、いまではご年配の一世達の憩いの場となっている日本人会もある。
話を戻して、イグアス移住地はJICA直轄の移住地であり、このサイトでも紹介している大豆の不耕起栽培をパラグアイで花咲かせた移住地でもある。しかし、いくら不耕起栽培を成功させたとはいえ、やはり未開拓地は多く残っている。
そもそも土地の少ない日本にしてみればうらやましい話というか、ありえない話というか・・つまり言ってみればあなたの家のお庭に侵入した人が勝手にここは自分の土地だから、あなたは出て行ってください。といっているような印象だろうか。まったく厚顔無恥な話だ。
じゃー、追い出したらよいのでは?その疑問はもっともだ。もちろん、イグアス日本人会も活動をした。つまり「未開拓だから住みついてしまうのだから使ったらいいわ。」という事で播種(はしゅ:種まき)をして農民を追い出す事に一時成功した。
しかし、その後も問題は続き、一時は本当に目が離せない状況だった。イグアス日本人会の関係者、日本国大使館といった組織が重機を境界線に止めて寝ずの番をしたほどだ。
結局、この問題はこの後、日本国大使館とJICAが土地なし農民に対してイグアス移住地外にある1500ヘクタールの代替地を与えて、一応の終着を見せるわけだが、イグアス移住地だけなく2018年現在でも多かれ少なかれ様々な地域で発生する問題となっている。
それから当時は、代替地を与えてしまうという対応は、さらなる土地なし農民の問題が起こり、日系社会にとって良くないという議論もあったが結局わたしてしまった。
さて、ここまで真面目にイグアス移住地における土地なし農民問題について触れてきたが、この問題はパラグアイの根幹ともいえる大きな問題を孕んでる。少しイグアスの事例とは離れてしまうが、一番大きな事件になった土地なし農民の事件にも触れていきたい。
・警官隊との衝突がおこった土地について(ちょっと寄り道)
2017年現在、大統領にはオラシオ・カルテス氏という方が就いているが、その前に大統領だったのがフェルナンド・ルゴ氏だ。ルゴさんは比較的やりたい放題して政権を追われる形になったが、決定打となったのが、起訴中の土地で起こった警官隊と土地なし農民との間に起こった事件だ。
これは歴史を遡って説明しなくてはいけない。パラグアイは1864年~70年にブラジル、アルゼンチン、ウルグアイを相手に三国戦争という非常に大きなドンパチを繰り広げた。
ワールドカップの日本対パラグアイ戦で始めてパラグアイを知った人や最近南米に興味を持った人などはもちろん知らないだろうが、パラグアイは1860年以前は今とは比べ物にならない大きな土地を持っていた。
それをこの三国戦争によって失ったのだ。さらに土地だけでなく、もっとずっと大きなものも失った。それが「男性」だ。
この戦争の後、パラグアイは歩いていると「木の上から女性が降ってくる国」と呼ばれることになる。引っ張って申し訳ないが、パラグアイは日本人が世界的に見ても移民しやすい国と認識を持たれているけれど、もしかしたらこの事実も日本人にやさしい背景なのかもしれない。
それで男性を失ったのはどういう事かというと、この三国戦争には追いも若きも非常にたくさんの成人男性が参加したのだ。負ければ切腹、という日本の戦国時代であってもこんなに死なないのではないかと思うが、この時にパラグアイにいた成人男性の9割が戦争で命を落としたのだ。
9割だよ?すごくない???
当然、それだけの人数の死者を出せば配偶者も働き手も不足するわけだが、9割も死ねるという事実はすさまじいとは思わないだろうか?これは命令されただけでは決して死ねない割合だと思う。つまり、第二次世界大戦の時の日本人男性と同じ心境だったわけだ。
死んでも守りたい国があった。大切な人がいた。その為に死ぬ事は本望である。
という気持ちでなければそんなに簡単に命を落とせるものではない。もしかすると日本人の移民にパラグアイ人が優しいのは同じシンパシーを抱ける国民性からかもしれない。
さて話を戻して、戦争というものは真に多くのものを失う。三国戦争に敗れたパラグアイは戦勝国への賠償金を作るために外国の投資家に土地を売却する事を強要され、この時に売却された土地の一部が、警官隊との衝突の舞台となった土地で、アスンシオンの北東300キロにあるカニンデジュ県という地域だ。
ここには「ブラシグアジョ」と呼ばれるブラジル資本の工場が入っていたのだが、1967年に土地を手放し、30年間その土地にいれば所有権が発生するというパラグアイの法律によって元コロラド党の上院議員のものになっていた。
で、ここを占拠した土地なし農民と警官隊との衝突で双方に17名の死者、多数の死傷者を出した。というわけです。よく勘違いされますが、この事件とイグアスの土地なし農民の不法占拠は根っこは同じでも、全く違う事件なのであしからず。
1. 当時のルゴ大統領の塩対応
先にも触れているが、土地なし農民問題が発生した時の大統領がルゴさんという方だ。で、ここで土地なし農民の不可解な点に触れたいんですが、例えば先に例を出しているけれど、自分の土地にわけの分からない人が勝手に小屋を建てていればあなたはどうするだろうか?
そう、警察に連絡を入れて警官に来てもらうだろう。
しかし、イグアス移住地然り、土地なし農民問題然り、警官隊はなかなかその重い腰を上げなかった。この背景にあるのがルゴさんの政策。
ルゴさんは元々カトリックの司教である。という風に話ましたが、この人は大統領選挙の時に国民の40%を占める貧困層の支持によって大統領になったわけなんです。
その時に言った政策が「私が当選したら貧しい国民87.000世帯に土地を上げちゃう!」というものだ。そういって当選してみたはいいが、実際は国庫が無く、土地を買うにいたる事は出来なかった。
そんな背景もあって、ルゴさんからは土地なし農民を批判する事が出来なったわけです。批判しようものならば貧困層からの支持率がだだ下がりになる事は目に見えていましたからね。
2. 話の通じないパラグアイ人
それから、この時のイグアス移住地を占拠しようとしていた土地なし農民なんですけど、警官隊との衝突しかり、イグアス移住地の不法占拠しかり、何もない状態で居座るにはさすがに居心地が悪いのか、大義名分を用意しているわけです。
まず一つはルゴ大統領の公約ですよね。大統領がいっているんだからくれよ!。そしてもう一つ出してきたのが「イグアス移住地は土地を分配する時に測量を間違えている。実際よりも1万8千ヘクタールも多い、だからここは我々のものだ。」という主張をしてきました。
しかし、私達はあの!真面目が売りの日本人です。特にイグアス移住地はパラグアイの日系移住地の中では比較的移住歴の浅い移住地です。つまり移住した先輩がたくさんいるし、JICAにはすでにパラグアイで何度も移住地を作ってきた経験があります。
その時に、国に、市に、人に騙され続けた日系移民が正式な国との取り決めもなしに契約を行うとは考えられません。
その自負がある為、どういう事だ?じゃー証拠を見せてみろ!と強気の姿勢で出ると土地なし農民も負け地と地図を出してきます。
見てみなさい!この地図を!イグアス移住地はこんな所にあるじゃないか!
どれどれ?なに!?・・・地図が間違えてるじゃねーか!落書きか!バカ!
となったそうで、その地図にはイグアス移住地が西に10キロ以上ずれて記されていたらしいです。本当・・真剣な話なんですけど。
どんな気持ちでその地図作ったんでしょうね 笑 しめしめ、これで騙せるぞ。なんでしょうか・・それともいやー、さすがにバレるよな。という気持ちなんでしょうか。
いずれにしても土地なし農民はそのイカサマ地図という隠し刀(竹光:たけみつ)を懐に忍ばせて抵抗を続けていたわけです。本当、、当事者は笑えないと思うんですが、、その絵づらはシュールそのものですよね。
理論というテーブルについていないわけですから、イグアスの人達が真正面に机に座っているのに対して、真横を向いて明後日の方向に話続けてるみたいな 笑
そういった政治的な背景などもあって、イグアス移住地の土地なし農民問題は大きな問題になってしまった。というわけです。
本当に良くないことだと思います。そもそも楽をして人のものを奪おうとする主張はだめですよね。しかも、先に出てきた代替地はその後、すぐに売りに出されて土地なし農民はまた別の土地に移って同じ行為を続けているわけですから、味を占めたというか、○○がつけあがるというか。。
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いやいや、大変ですな。マテ茶の検索からここへたどり着きましたが。なかなかの国です。。
なんでも日本からの移住が簡単だとか言っておりますが、実際は理論の通じない田舎者の国の様ですね。しかし南米はどこも同じか。。
記事が面白いですほとんど読みました!
アメリカコロラド州から